ドイツのコール元首相の死去が、こんなにもビッグニュースな理由

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ドイツのヘルムート・コール元首相が6月16日に87歳で亡くなりました。
各国の代表が追悼をささげています。

コール元首相はなんと東西ドイツ統一というものすごい偉業をなしとげているんですが、現役のときはなぜかメディアにネタにされまくり、退陣後はすっかり存在感がうすれていました。

それが今では世界中から偉大なる歴史の人!という評価になっています。

なんでそんなに?

そもそもどんな人なんだ?

と疑問に思ったので彼の生前を調べてみました!

愛称は「東西統一の父」

彼の政権下で個人的に印象が強いことを並べてみます。

・ドイツ統一
・16歳の若さで政党(CDU)入り
・首相歴は戦後いちばん長い16年
・メルケル氏(現首相)を婦人・青年担当相に抜擢。政治家として成長させた

見ただけですごいのがわかる。

その中でも、1990年に東西にわかれていたドイツをひとつの共和国として統一したということは彼の最大の功績でしょう。

ベルリンの壁が1989年に崩壊してわずか1年後でした。

当時ドイツが一つになることによってまたナチス時代のように強大なパワーを持つようになるんじゃないかと恐れていた旧連合国の代表を説得し、協力してなしとげた統一です。

フランスのミッテラン元大統領とは個人的に仲良くなって、何度も統一の良さを説いたようです。

もちろんドイツ国民の投票も必要でした。

西ドイツ国民
DDR(東ドイツ)と一緒になっても貧乏になりそう。でもドイツはドイツかも。
東ドイツ国民
西のやつらちょっとリッチだからってお高くとまっててむかつくな。でも統一はしたい。
コール元首相
ひとつのドイツになろう。統一はいいぞ。メリットいっぱいだぞ。

こうして結局国民の多くの賛成を得て統一が行われます。
歓喜の中で支持率もアップ!
このときコール元首相は東西統一の父と呼ばれたそうです。

しかし……

・ベルリン含む東ドイツが西ドイツに統合される形になったこと。
・経済的にいっこうに楽にならないこと。
・統一後の憲法などの決まりごとについては議論されてなかったこと。

などなど国民の不満が爆発します。

統一前に言ってたことと違うじゃないか!ってことですね。

首相の座を退任させられたあと、200万マルクの闇献金疑惑なども出てきたこともあり、彼の政治家としての道は閉ざされました。
なんという転落。

それでもドイツ統一という歴史的な功績がなければ、今もこんなに大々的にメディアで報道されなかったでしょう。

政治に没頭しすぎて私生活が暗い

私生活も壮絶でした……。

 

闇献金事件が終幕した次の日の2001年7月5日、政治家としての彼をずっと隣で支えてきた妻のハンネローレ夫人が自殺しました。理由は「病気苦」だといわれています。

夫人は日光アレルギーというかなり珍しい病気にかかっていました。

日光アレルギー : 体内の紫外線が一定の量に達することで発症する。症状は肌のかゆみ、かぶれ、蕁麻疹、目の充血など。吐き気をもよおすこともある。

こんな状態だったので、晩年は1年以上暗い家の中から出られなかったようです。

治療は不可能、外出もままならない、夫もずっと忙しいとなると解決策も見つからなかったんじゃないかなぁ。

私も目の充血とか肌の痛みは感じるからあんまり外には出たくないけど、ここまで壮絶なのは想像できません。

ハンネローレ夫人の死後は、再婚したマイケ夫人がコール元首相の生涯の伴侶になりました。
体の不自由になったコール元首相のために、車椅子を押したり支えている様子がニュースサイトに残っています。
前妻のハンネローレ夫人とのあいだには2人の息子がいたのですが、長男のヴァルターさんは「偉大な首相の息子」という立場に苦しんだようです。
彼は現役のコール元首相を家庭を顧みない親父だと評価しています。

父とは2011年に電話をしたのが最後で、コンタクトは一切とっていませんでした。

訃報を聞いたのもラジオからだったようです。

長男ヴァルターさんの著書“Leben oder gelebt werden”ではコール元首相の家庭での姿や、母ハンネローレ夫人の晩年の様子が書かれています。

ネタにされすぎ問題

かつてこんなにドイツメディアに愛された首相がいただろうか?
いや、いない。(反語)

コール元首相は現役時代めちゃくちゃネタにされまくってました。

おもに太ってることを揶揄されたものが多いです。

有名なのが下のような風刺画でした。

コール首相の風刺画   コール首相の風刺画2

これは風刺雑誌のTitanicに掲載されたのですが、体型のせいでしょっちゅう梨にされてます。
梨って呼ばれる首相……。

身長192cmで体重120kgというホンモノの巨漢ですけどね。

 

首相自身はこの梨(Birne)というあだ名をあまりよく思ってなかったようなのですが、1987年のドイツ連邦議会ではみずから「I like Pear」のキャッチーな自虐で売り込んでます。

しかもそれで首相の第2期を勝ち取るからすごい……。

あとは田舎訛りをよくいじられてました。

他にも、シュピーゲル誌による風刺画もたくさんあります。
ここにいくつか載っていますので見てみてください。

下の画像はその中のひとつで “Sabotage an der Einheit” です。

ドイツ統一で苦しむコール首相

ドイツ統一後、負債や失業率の高さに苦しむ首相。
統一前の方がよっぽど豊かだった西ドイツにとっては、東ドイツと一つの国になったことで自分たちの資産を失ったようなものでした。

国民の「統一」に対しての理想と現実のギャップが激しかったのが伝わります。

ここで経済的に持ち直すことができなかったこともあり、最終的には辞任してしまいましたが、それでも16年間ずっとドイツの首相を務め続けることができたのはコール元首相の努力でしょう。

メディアからは風刺されまくっているものの、なんだかんだ愛すべき存在だったんじゃないかと思っています。

今自由にドイツ中を行き来できるようになったのは彼のおかげですから。

Rest in Peace.

参考サイトと画像:

Kohl-Sohn erfuhr aus dem Radio vom Tod seines Vaters / Berliner Kurier

Von der Wende bis zur Kanzlerdämmerung / Spiegel Online

Die Rache der Birne / Spiegel Online