過去の遺産?無関心は敵?ユダヤ人収容所アウシュビッツを訪問した率直な感想

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ローカルな旅と南デンマークを愛する北欧ツアーコーディネーター。毎日をちょっと特別に。

クラクフからバスで1時間半。

アウシュヴィッツ=ビルケナウが、そこにあった。今回のポーランド旅行の目的地だ。

ここはナチスドイツが作った強制収容所であり、最大の遺産といっていいだろう。殺されたのは、ほとんどがユダヤ人である。

宿で一緒になったポーランド人に「現実を見てくるんだね」と言われ、実際に見てきたのだが、いま実は驚くほど晴れやかな気分だ。

行ってきたばかりの勢いで、思うままに気持ちを吐き出してみます。

「働けば自由になる」という一瞬の希望

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“ARBEIT MACHT FREI”

入口にはドイツ語でこう書かれている。直訳すると「労働が自由を作る」だが、Wikipediaに則って訳させてもらった。

アウシュビッツやビルケナウに連れてこられた人たち(ユダヤ人以外も)は、ここに来るまですでに貨物車の中で数週間の移送生活を送っている。

100人単位で窓のない貨物車に所狭しと詰め込まれ、食事は出ず、当然トイレもない。

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そんな状態でようやく着いた場所が、この強制収容所なのだ。

夏のカラッと晴れた天気のせいなのか、ガイドの優しげな声色のせいなのか、どう見ても私の目には平和な場所にしか見えなかった。

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たどり着いた人々も同じ気持ちだったのだろうか。もともと移送は新しい場所に引っ越すという名目だったため、苦労を乗り越えてようやく新しい生活を始めるぞ。くらいに思っていたのかもしれない。

「働けば自由になる」という標語はよく皮肉的に使われてはいるが言葉通りで、反対に言うと働けない奴は死ぬだけなのだ。

収容所に着いてすぐ男女別に並ばされ、ナチスの医者によって「労働可」と「労働不可」に選別される。労働不可に分けられた人に待っているのは死あるのみ。

たとえば移送の過程で衰弱しきった男性、妊娠中の女性、老人、子供など。実に7割が「労働不可」に分けられた。

シャワーを浴びてこいと言われて入ったガス室で、一斉に処分される。

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これはまさにガス室に向かう途中の子供の写真だ。後ろには赤ん坊を抱いた女性もいる。

久しぶりにシャワーを浴びられると聞いて、嬉しかっただろうか。それとも選別の時点で何かを察していた人もいたのだろうか。どちらにしろ逃げようとしたら殺されるので、未来は変わらないのである。

知恵を使った人たちもいた。

選定では名前や年齢などいくつか質問されるのだが、囚人の一部の人が情報共有をして年齢を偽ったようだ。15歳ならば18歳、50歳なら40歳など、そして労働可能だと認めてもらうことで、直後の死を免れるのだ。

そしてたとえ健康体で労働可能であっても、待っているのは地獄に変わりはない。

ガイドはアウシュビッツ=ビルケナウを「ゆっくり殺すための施設」だと言っていた。

豆知識
アウシュビッツは第三収容所まである。有名なのがアウシュビッツ第一収容所だが、第二収容所の通称ビルケナウは第一収容所の20倍の大きさで、ビルケナウの大規模なガス室で半数以上が殺された。

悲惨な生活のようす。でも想像しかできない

労働可に選別された囚人には番号が与えられ、過酷な労働生活が始まる。

アウシュビッツのことを歴史の授業か何かで知っていたら、おそらく囚人たちがどんな生活をしていたか想像がつくだろう。

ガイドが感情たっぷりに語ってくれた。

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「ここに写真がある人たちも全員殺されました。」

壁に貼られたプロフィール。名前や、いつ亡くなったかの記録がある。見たところ数週間~1年ほどがほとんどだった。

それもそうだ。1日10時間を超える肉体労働にくわえて、ここでは最低限の生活が保障されていない。

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もともと馬小屋として使われていた部屋で、人々は生活していた。汚れた薄い毛布が1段に1枚、どんな真夏も極寒の冬もここで過ごさなくてはならないのだ。

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ただ穴をあけただけのトイレ。1日2回、ほんの数分間ここで一斉に用を足すことが許された。時間が来たら外に出なくてはいけない。

衛生環境が悪すぎて病気になっても関係なかった。間に合わなくてあと少しだけ、と懇願した人もいたのではないだろうか……。

服は1着のみ。まともな食事も与えられず、衛生的にも悪すぎる環境だ。当然心も体も弱っていくだろう。

酷すぎて逆に冷静になってしまった。

こんなことが本当に起こってたの?

非人道的とはまさにこのことだろう。しかし平和の中で生きている私は「つらいんだろうな」と思うことはできても、当時とまったく同じ生活を強いられてはいないのだ。

所詮、想像することしかできない。なんとなく一歩引いてみてしまうというか、他人事なんだ。

無関心で、体験していないことに共感できない人間

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この壁の前で、多くの囚人が銃殺された。

子供も妻も何もかも奪われ、ただ死を待つしかない場所。あまりにもむごくて、ガイドの解説を聞きながら泣いている人や、花束を置いていく人もいた。

私は、そういう人たちに共感が出来なかった。先ほども言ったが冷静になってしまったのだ。自分ごとじゃないとどこかで思ってしまっているのかもしれない。

そして、怖くなった。

同じように考える人間が、歴史を繰り返すのではないか。

日本国内で起こっている災害についても同じだ。被災地に対して祈ったり支援したりすることはできても、自分や身内が体験していない限り共感はできない。

平和ボケしていて、無関心で、つくづく学ばない生き物だなと思う。

宮尾節子さんの「明日戦争がはじまる」という詩を思い出した。

ナチスの兵士たちが行った行為は残虐だけど、彼らもともとはただの民間人だ。きっと身内には優しいだろう。赤ちゃんがいたら微笑むのだろう。

アウシュビッツの所長だったルドルフ・ヘス将校は、囚人たちが住む場所のすぐ近くの家で妻や幼い子供たちと住んでいた。家族はいったいどんな気持ちで父の仕事を見守っていたのだろうか。何も感じていなかったのかもしれないし、戦争だから仕方ないと思っていたのかもしれない。

戦争というものは人の感覚をマヒさせるというが、日常から少しずつ起きている変化に気付くことができなければ、また繰り返す。

知識も関心もない人が、無自覚に世界をダメにしてしまうのだ。

少なくとも今回は自分の足でここまできて、歴史を学んだ。その時点で他の人よりは関心がある!と誇っていいのだろうか。

自分でもわからないし今はうまく落とし込めてないけれど、後になってからようやく納得できることもあるから、今日の時点で思ったことをすべて書いておこうと思う。

戦争はどこか遠いところで起きているわけではなく、あらゆる場所で小さなことから起きている。

アウシュビッツは過去からの警告

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最後に、自分自身がサムネ画像にしていた「アウシュビッツは過去の遺産か?」という問いかけにNOと答えたいと思う。

よくドラマや漫画で未来の人がタイムスリップして過去の自分に警告したりするが、このアウシュビッツは過去から現代の私たちに警告している。

戦争の歴史を繰り返さないためだ。

しかし悲しいことに、もうすでに世界各地で戦争は起こっている。

アウシュビッツが再び使われることはない(と思いたい)が、ホロコーストの原因である戦争は現在進行形なんだ。

ここで起こったことに対してただ悲しいと嘆いているだけでいいのか?過去は過去だと思っていていいのか?

ナチスドイツが戦犯の証拠をほぼ隠滅させたため、アウシュビッツでの死亡人数は正確にはわかっていない。少なくとも150万人だ。

そんな場所に、今は世界中からさまざまな人が訪れている。

一方で、人々は中東の一部の国などで日常的に紛争が起きていることには興味がない。

うーん、面白いなぁ。ならどうやって人の目を向けさせられるか考えたい。私がやりたいことの一つになってしまった。

激動の時代に生まれてしまったなと、つくづく思う。

あとがき

ここまで読んでくださりありがとうございます。

いつもと違う感じで書いてたら非常に疲れました。テーマがテーマだしね。

今回、アウシュビッツに行きたかったのは世界遺産の本を読んで強く印象に残っていたからです。本当に行ってよかった、スッキリしました(多分こう言う人は少ない)。

ここで戦時中に起きたことは事実だし、悲惨な過去に違いはありません。

ただ、それを見てただ悲しかった、で終わるだけでなく、日常レベルから何か知識と関心を持って物事を変えようとする力が現代人には必要だと思って書きました。

予想外に気付きのある旅になって嬉しいです。

インターネットで探せばいくらでもアウシュビッツに行った感想は出てくるし知識はつけられるのですが、自分の目で見た印象はきっとそれぞれ違うので、ぜひ足を運んでほしいですね。

もうすぐベルリンに帰ります。

ではまた~